弁当の持参の仕方も人それぞれ。
固定観念に縛られる必要はない。


弁当箱を使わない弁当


私は普段外出するとき、弁当を持ち歩いています。

弁当を持ち歩きますが、
弁当箱の形ではありません。


ビニール袋に入れた鶏ハムとおにぎり。

基本この2つだけ。

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おにぎりといっても、
玄米をただラップでくるんだだけ。
ご飯に味噌をつけますが。

鶏ハムはつまようじで刺して食べるようにしてます。


「なんとまあチープな…」
と思われるかもしれません。


確かに見た目は貧相ですけどね。

彩や見た目を重視する女子にはウケないスタイルです。


でも、機能性は抜群、
というか、実利は伴っています。

低タンパク質な外食よりは、よほど高タンパク

肉体改造食として十分な役割を果たしています。


それになんといっても、
「弁当箱を洗う手間が省ける」

これが大きい。


何年か前までは私も、
ごはんや肉を弁当箱に詰めて持って行っていました。


ただ、弁当箱を洗うのが面倒くさくて。

何か良い方法ないかと自分なりに考え、
職場に紙皿や割り箸を置いたり、
いろいろ試行錯誤する中で、今のスタイルに落ち着きました。


知らぬ間に植え付けられる固定観念


以前から私は、
「外出時は、栄養的にも経済的にも弁当持参」をお勧めしてますが、

必ずしも弁当箱やタッパのような入れ物にしなくてもいいということ。

「弁当→弁当箱」
という固定観念に囚われる必要はない。



つい我々は固定観念に縛られてしまいます。

つい、世の中になんとなく根付いている行動規範に沿って動いてしまいがちになります。


たとえば、

12時になったらランチを食べる。

昭和の男性だったら、みんなと同じようにタバコを吸う。

「安定した職業」に就き、
30歳くらいまでに結婚して、
子供を2人作り、マイホームやマイカーを買う。


見栄や世間体、体裁、常識といったものに沿って生きる。
そうしたものを優先して生活する。


学校教育からしてそもそも、
固定観念を植え付ける傾向がありますからね。

「この場面ではこうするものだ」
といったように、教科書的な生活を仕向けられますからね。


多くの人はそうして知らぬ間に「なんとなくの常識」
「なんとなくの行動規範」が刷り込まれ、
固定観念に縛られる生き物になっていく。

本来あったはずの「個」がなくなっていってしまう。

自分の本心、望みではなく、
常識や「そうするのが普通」といった方向を目指すようになってしまう。


必ずしもそうする必要はない


しかし、もはや時代は変わっています。

ますます時代は個を重視するスタイル、
多様性が重視される世の中に変容してきています。


常識や他人の目から自由になること、

固定観念に縛られないで生きることが大事。



職場のルールで12時が昼の休憩というわけではないのなら、
別に12時にランチを摂る必要はありません。


むしろ12時を外したほうが、悠々のびのびと食事することができるでしょう。


そのように食事のタイミングなど生活スタイルにしても、
個人の生き方にしても、

弁当持参の仕方にしても、

常識や世間体、固定観念に囚われる必要はありません。


「この場面ではこうするものだ」を、
「必ずしもそうする必要はない」に。


やり方、働き方、生き方は多様にあるんだ、と。




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